白木蓮

人生生きてきて、感じたことを、大切だと感じたことを綴っていこうと思います。

人の精神は〜吉田松陰

 

人の精神は目にあり。故に人を観るは目に於いてす。~吉田松陰

 「人の精神は、目に宿る。だから、その人がどんな人かを知るには、その人の目をみればわかる」

孟子:「人を知るのに眸子(ひとみ)よりいいものはない。眸子はその悪を覆い隠すことはできない。
    胸中が正しければ、すなわち眸子は明るい」

松陰:「その人の胸の中が善いか悪いかは、瞳がはっきりしているか暗いかでわかる。だから瞳をよく見る者は、その人が賢いか愚かかということだけでなく、行動の様子まできちんと見分けられるのである。しかも、瞳に正しいこと、よこしまなことがはっきりと表れるだけではない。
    たとえその人が、声を丁寧にして笑顔をつくって慎み深く装ったとしても、その人の瞳を他人が見れば、演技などは何の役にも立ちはしない。実行の伴わない言葉、偽りの行いはもとより、人を心服させ、信用を得ることはできない。こんな人がどうして、至誠ある人を動かすことができようか」

これは、昔から「目は心の窓」と言われ、誰もが聞いたことがあると思う。テレビでも、犯罪者の
犯罪当時の表情の中にある目は、やはり暗かったり、険しかったり、殺気立ったり、邪気(よこしま)なのが診て取れる。健全で心の清い人の目は、

光があり澄んでいていて明るい。これは良く分かる。

 他には、テレビに出るような汚部屋の住人は明らかに気が乱れているというか、不潔なオーラがにじみ出ているのが分かる。昔読んだ掃除の本には、犯罪者の自宅は家を診て直ぐに分かる、というほど物が多く、例外なく荒んだベランダや部屋になっているという。精神的に滅入ってくる(乱れる)と、やはり部屋が直ぐに汚くなる。

 余談だが、私の友人は、結婚して新居に、自分の実家と彼と彼女のそれぞれの一人暮らしの家の荷物を詰め込んで、テレビで見るような汚部屋に住んでいた。夫は友人である彼女の稼ぎに甘え、主夫となっていた。友人の性格は良く人間関係も良かったが、彼女は仕事が忙しく、家の片付けを夫婦二人で全くやっていなかった。家族4人でゴミ部屋に埋もれた生活を毎日送っていた。これに気が付いたのは、彼女が末期がんになり、家の様子を見に行って初めて知った。

 

私は、母子家庭で育った精神的に不器用だった彼女が結婚して子供まで授かった人を見抜く眼もなく、日常の大切なことが何かも分からない。自分の癖に向き合って修正していく、問題の解決の取り組み方すらも疎かにしすぎていた実相が、手遅れになって出てきた。どんなに大切なことを伝えてても、こんなにも違う結果。ショックだった。問題を後回しにしすぎた。


彼女の目は暗く、くすんでいて、キレイには見えなかった。自覚症状もなかった当初はカラ元気だったが、どこか淋し気な虚しい感覚だったのを覚えている。入院してしばらくすると殆ど危篤になって、焦った私は彼女の自宅玄関~廊下~和室~リビング、全て大人の身長ほどの衣類が積み重ね上げられ、通路は幅30cm程しかなく、棺が通る通路もなければ、置く部屋もナイ。亡くなる2日前に彼女の夫、弟夫婦、知人友人を集め協力してもらって、10人ほどで丸一日かかって、玄関から和室までの積み上げられたゴミを車で何度も往復させて捨て、汚れ切った部屋と通路、トイレの掃除と、見事に片付けた。これで、逝去後に彼女は自宅に帰ることができた。

 

夫婦ともども両親は亡くなっていて、血縁は彼女の弟夫婦と弟嫁の家族のみ、社会適応が困難な夫は彼女の逝去で余裕はなく、私自身は身内の葬式を取り仕切ったこともないのに、夫を含め彼女の弟夫婦に相談しながらお葬式の手配、四十九日までの御供養のすべてを取り仕切った。「金銭管理以外」というのは言うまでもない。

彼女と私の自宅は距離は約30km。県外だった。

ほとんど初七日までは毎日高速に乗って、通った。
汚れは穢れ(ケガれ)、気枯れと言って身心に良くない。支障は必ず現れる。これを放置できるのは
やはり「自分自身を大切に扱えない」 この一言に尽きるように思う。人は自分を扱うように、モノを扱い、他人に接する。自分が大切だと思っている人間は、自己管理能力が高い。

時間(スケジュール)の管理、健康管理、人間関係(家族・友人・職場など)の管理、物の管理、他人への配慮など・・・これが細部にマメに行き届く。

大切だからといって、面倒見なかったり、使わないものを放置したり、しまい込んだままというのは管理とは言えない。何故ならば、やはり活かしていないから。 例えば小道具こそ仕舞っても、コレクションは鑑賞できる方が望ましい。

やはり管理というのは、どうしても手間暇を惜しまずにやってこそ、立派に維持ができる。多少の手抜きや、調整は必要に応じてなされるべきだが。自分を犠牲にしたストレスは、自分の身心を刻々と知らない間に蝕む。病気とは、身体的・精神的管理を怠った、至らなかった結果でしかない。

 ついでに言うと、火葬が終わって彼女の自宅に戻って和室に上がってちょっと経つと、なんだか気分が悪くなり、家から外に出た。その時ちょうど弟嫁の父がいて、神道に通じた方で確か、どこかの神主さんだった。私を見て少し話すと、肩をパンパンと呪文を唱えて邪気を払ったのです。その瞬間、パッと軽くなり気分も良くなりました。やはり、汚い穢れはイラナイ邪気を住まわせるのだと思ったものです。
余談が長くなってしまいました。

 また逆に表現力を鍛練されるような、音楽・技術・芸事・仕事などを究めている人はやはり、見た目、洗練されたキレイなオーラが滲み出ている。音楽家、茶道や華道、航空・海上自衛隊の方々、宝塚歌劇団の方々などは清潔感溢れる気配があり見ていて、とても清々しく気持ちが良いと感じる。自分自身を律して、厳しい訓練に逃げずに向き合って、磨き上げているのはご存じの方も多いだろう。役職役員も、それほど洗練されていると、診て取れてしまう。そういう方々の自宅のお部屋は、やはりキレイに決まっている。

 

ご存知かと思うが、宝塚歌劇団自衛隊に所属する方々は寮生活の中で、各本分の練習の他に、如何に定められた時間内で掃除や礼儀などの他、上下関係を厳しく躾けられる。これが、どんなに素晴らしいことだか、気づかねばならない。恐らく、彼、彼女らの掃除は、埃や指紋までも許さず、たたむ布類のすべては、隅々までキッチリ真っ直ぐだったはず。

 

これが、集中力や洗練された感性を養い、人間なんか見抜き見通し。この方々は恐らく、無意識に感性の乱れた者など、「おはじき」だと私は思っている。戦艦が公開される時に、ぜひ観察していただきたい。セーラー服の海上自衛隊の方の、雰囲気を。

そう簡単には真似できないでしょう。素晴らしいものです。

 

しかし、自衛隊に行かなくても自主練はできますが、プロに身近に学ぶのなら、茶道が最も優れているでしょう。日本文化の「道」のつくものに、必ず礼儀作法というものが入っています。それは、人間のみならず物を大切にする心そして、扱い方。これを身につけることが、どこまでも洗練された感性を磨くのです。茶道ほど指先まで神経を使うものはないのでは、と思います。日本舞踊・狂言能楽も恐らく指先まででしょう。近頃ダンスが非常に流行っています。ですが、ダンスは指先まで、というのは少ない気がします。少なくとも礼儀作法というものは、存在しません。踊るのに、「動」が強い。精神よりも体力を消耗する。日本の道は、精神を鍛えぬくもの、と言える。

 

余談ですが人の姿は一時が万事。綺麗好きに、感性が汚く乱れたものはない。つまり、そう簡単に犯罪を起こすような人としてあるまじき言動や行動を取ることも、まずあり得ないと言うこと。

目は口ほどにモノを言う。だが、会わなくても電話の会話だけでも人は判断できる。目を合わせていると、見抜ける感性は誰にでもあるはずです。その人の口から出る言葉と、目が一致してるのかチェックポイントです。言葉遣いよりも、最も人間性を現すのは、話し方と口調と目、内容だと言える。

健全な人間は、正々堂々とした明朗な感じ。ボソボソは暗く心のどこかに後ろめたさを感じる、など
他に何点かパターンがあるが、私個人の感覚的なもので詳細は伝えにくい。

 

だいたい自己紹介を兼ねた自由なスピーチ3分で、

その人柄と人生経験を含んだ人間性の70%は

分かると思っている。関わって良い人、良くない人は直ぐに判断出来てしまう。人間の精神の清い世界に住む者、汚い世界に住む者・・・

この違いは歴然です。

 

自分がどういう人間に取り囲まれて生きているのか。これは、自分がどういう人間なのかを
客観的に評価するものさしになる。

何故なら、「類は友を呼ぶ」ということ。
自分を取り囲む人間は、自分が他人をどう捉えているのか、他人が自分をどう捉えているのか、

これは、感覚的に「好き(良い)/嫌い(悪い)」が

どういうポイントにあるか、良くわかる。そして、それが個性(作業パターン)なのか感性(感情のパターン)の反応か良く見極めると、それをどうするのか判断しやすくなるだろう。

自分の冷静な判断を下し、修正できるのか、できないのか自分を含めて、付き合う性質を選ぶこと。身の回りをキレイに保つのは、人間や容姿・健康のみならず、家の中、自分自身の教養や感性などを含め、エゴを抜き去り、美しいものに触れながら究めて磨き上げることは、自分の魂を汚さないためにも必要なのです。 

一言付け加えますと、人間にはどうしても「変えられない」と自分で誰もが思っている部分があると思います善悪両方あるでしょう。それは佛教では「因縁」と言います。癖が習慣化したもの、それは祖先から流れていくものと自分自身が持っているものとある。

しかし、自分を自他ともに「変えたい」と真剣に願い努力するのなら確実に変わっていきます。これが、己の霊性を磨くのです。これを究めると目が澄んで精神が研ぎ澄まされて、誰もが喜ぶ自己実現が可能になるでしょう。

日本人は、自分を磨き上げることに関しては優れています。得意なこと、好きなことを伸ばすことは誰も夢中になれるので、そんな自分を褒めながら、得手に帆を上げて自分の人生を悔いなく生きていき
充実した人生になるよう、努力する。

 

 
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