白木蓮

人生生きてきて、感じたことを、大切だと感じたことを綴っていこうと思います。

創世記と女

日本には、創世記として日本書紀古事記がある。

宇宙の中に地球ができて、初めて天と地に分かれた。

その天上の高天原に神様が現れた。

天之御中主神(天の真ん中におられる)、

高御産巣日神神産巣日神。この二神は共通して産巣日(むすひ)と読み

おむすび:命の源 の意味がある。

古事記によると高御~は天孫族、神~は出雲族の神らしい。

その後、5組の対の神様が生まれ、天地創造を象徴する名前で

泥と砂、命が発育する環境、雄雌の性、言葉を使う神、男女神

この最後の男女神がイザナギイザナミとなっている。

イザナギの神とイザナミの神が現れて

天の浮橋から泥沼のようなところに、矛を突き刺してかき混ぜて

淡路島を生んだのです。そして淡路島に2人の神は舞い降りて

声をかけあって、日本の国を生み始めています。

順番は①四国→②隠岐の島→③筑紫島(九州)→④壱岐

→⑤対馬→⓺佐渡→⑦本州です。

これで最初に生んだ淡路島を入れて日本のことを大八島と呼び

その後、6つの小さな島を生んで、合計14の島を総合して

日本列島の完成だと。

淡路島に伊弉諾神宮、自凝島神社が現存しているのは事実です。

そして、よく日本から世界を観てみると、四国はオーストラリア

本州はユーラシア大陸、九州はアフリカ、北海道は北米大陸・・・

に形が大変似ていることから日本は世界の縮図(日本は世界のひな型)だと

竹内文書に記されている。日本の歴史は奥が深く、簡単に解明できない。

出口王任三郎の日月神示にもさらに解説されている。

創世記の内容は、イザナミが火の神をお生みになって、焼け死んで

黄泉の国(島根県:死後の世界)へ行ってしまった。

そして、それを嘆き悲しんだイザナギは黄泉の国の入り口

黄泉比良坂(東出雲町揖屋)へ行き、最愛の妻イザナミ

イザナギは「帰ってきてくれ」と頼みましたが、

イザナミは「黄泉の国の食べ物を食べてしまったので

帰れません。でも黄泉の神様にお願いしてみますから

中に入って、私を見ないでください」とお返事。

しかし、待てど暮らせどイザナミが出てこないので

我慢できず、火を灯して中に入りました。

そこで見たものは、変わり果てたイザナミの”ウジの湧いた死骸”だった。

それに驚いたイザナギは慌てて逃げ出し、

死んでいたイザナミは起き上がり、

「よくも私に恥をかかせたわね!捕まえろ!!」

と黄泉の国の女の幽霊を遣い、追わせましたが

イザナギが投げつけた桃の実が、雷や幽霊軍団を退治して

最後にイザナミが追いかけて、黄泉比良坂で千引きの岩で

イザナギが道を塞いでしまい

岩を挟んで、イザナミは離別の言葉で

「あなたの国の人々を 1日1000人殺します」

それに対して、イザナギ

「ワシは1日1500人の子を産むとしよう」

これが、最後の会話、二人の別れとなりました。


以上、この内容から言えるのは、イザナギという男の愛は

寂しくて、どうしても逢いたくて、会いに行って、会えなくて

断られても我慢できなくて、会いに行ってしまった。

どうしても、愛してる。純粋な愛なのです。

しかし、イザナミは自分の醜い姿を見られたことによる怒り。

自分一人のみならず、仲間を遣って大勢で捕まえようと指示をした。

そして、見事捕まえられず、負けた時には

相手の国の人を「毎日1000人殺します」と言ったのです。

これが、女の正体と言えるでしょう。

聖書にすら、禁断の果実(善悪の知識)の木の実「リンゴ」を

先に食べたのは「女」なのです。そして「女」が男に食べさせた。

正しく約束(ルール)を守ってきた男に、

同罪にしてしまったのは「女」なのです。

女は日本では昔から「不浄」と言われます。「女人禁制」「男尊女卑」

という言葉もあるくらいです。古事記からしても

イザナギ(男)のあり方は尊く、イザナミ(女)のあり方は卑しい。

これは、言い得てるのです。

女は自分の醜い姿を指摘されると、反発することが多いように思います。

自分の過ちを認めずに、過ちを誤魔化すが如く仲間を集めて

悪口晩餐会、指摘した相手を攻撃、批判して自分を正当化する。

この女のあり方を、男は見抜いて対応する必要があります。

日本は、昔から文化により女は従順であるように育てられていますが

近代では、そうではありません。文化が廃れてきているからでしょう。

女の卓越した弁舌に、男は騙されないように、利用されないように

感性を働かせるほうがいいのです。感性が優れていれば

女の卑しさ、醜さを嫌悪感として察知することができます。

物事を美化しない。明らかな道理と根拠を把握する。

納得できる言葉と証拠があることは、非常に重要になる。

そして、女性という生き物は、いつも冷静に柔和に謙虚であるように

常日頃から、我が身を慎むことを意識すべきである。

女の傲慢さに、男がひれ伏すような事があってはならない。

歴史的に見ても、女の傍若無人ぶりは甚だしい。

マリー・アントワネット西太后エリザベート・バートリ、

則天武后、ンジンガ、アグリッピナなど、自分の欲のためなら

手段を選ばない事実は、ウンザリするほどあるのです。

そして、イギリス。世界には国旗がありますが、イギリスの属国には

イギリス国旗が転写されています。ニュージーランド、オーストラリア、

フィジー、ニウエ、クック諸島、ツバル、サウスジョージアなど

おそらく10か国はあるのではないでしょうか。

これが、イギリス国の女王が如何に支配し続けてきたのか

象徴しているのです。エリザベス女王の目が、如何に物語っているか

あの残虐な瞳は、前ローマ教皇ベネディクト16世の目に等しい。

 


あんな瞳になるまで、何をやっているのだろう。

 

ネットでは大変残酷な話があり、刑罰の対象にもなる内容。

きっと、間違いなく事実でしょう。

やはり、仲間を(誰かを)支配して妄信を猛進し続けていると言える。

 

対する日本の象徴である天皇、皇后両陛下は柔和でしとやかで

お美しい。温かさが滲み出ている。これが日本のお国柄の証拠である。

近頃、女性天皇などという言葉が飛び交うが、言語道断。

女性が国のトップとなるべきではない。

何故なら、歴史上、男性の役割は社会にあるからだ。

女性は社会で通用するには、限度がある。

伝統・文化・政治・経済・国勢などを把握し動かすのは

どうしても男性が優れているのである。いつの時代も

物事を究めて、新しいものを生み出し、国内外に名を知らしめるのは

どうしても男性なのだ。著名人に女性は1割~2割ではなかろうか。

物事に打ち込むエネルギーも、感性もどうしても男性が強い。

世の中、活躍するのは随所に愛を感じる男性であり、

不器用でも、我欲でなく他人への心からの幸せを温かい眼差しで生み出す者

そういう男性が世界にいいものをもたらす、と言える。

女性も男性も、互いの人間性を見極めること。

男性は、自分の正しい見識、善意、を女性の我欲で歪められないよう

気の強い女性は避けた方が、良いでしょう。もっとも、強情な女性を

大きな自分の器で、立派に治められ修正可能だと言えるのなら別だが・・・。

お互いに、足しあい磨きあい高めあっていける関係性は大切に思う。

女性は男性がそばにいて、男性が上機嫌で社会で活躍できる環境と

コミュニケーションが図れることが理想的なのではないかと思う。

個人的には、子どもの頃からが育て方が大切で

人間に甘えは禁物、甘えが傲慢を育てるように思う。

また、これは30年前に聞いた話だが

イギリスのグリニッジ天文台という時間を示すものが、

まず軽度が0度、という国際的な本初子午線が認定された。

つまり、世界の時刻を決めた国であり、場所なのです。

天文台という名の通り、時刻はメインで太陽・月などの天体の

動きで時間が刻まれます。どこの国においても

朝・昼・夜という状況が変更されることはありません。

万国共通なのです。では、グリニッジ天文台の時計が0時から

スタートするのは、真夜中です。この真夜中の0時の時に

日本は9時頃、つまり朝なのです。日本の国旗は日の丸です。朝日の国です。

0時の真夜中は、闇なのです。闇は暗黙のうちに闇雲に物事を進めやすくする。

イギリスのあり方は植民地、奴隷と支配、洗脳、略奪、詐欺など手段を

選ばない。それがどこかで未だに伝統が受け継がれているのでしょう。

日本はそうではありません。光を照らすのです。

すべて理路整然と、明らかに正々堂々と物事を進める国柄でした。

しかし、近年はそうではなくなりました。闇が増えて

日本人気質に合わない社会となってきていることは否めません。

このことは、漢字にもしたためてあります。

昔から、男は太陽(日)のように力強く照らす。その横で女は月のように

ふんわり光を灯す。そうすると「明」るいという文字になる。

また、男の太陽(日)の光の横で、女が男のように太陽(日)の役目で

「立」つと、そこは「暗」いになるのです。

この事からしても、女性はトップに立つと闇になるのです。

女は昔から「家内」と言われ、家の中でいいのです。

男は家の外の社会で活躍するのが、本当の姿なのです。