白木蓮

人生生きてきて、感じたことを、大切だと感じたことを綴っていこうと思います。

学問とは・・・ 吉田松陰

​​学は人たる所以(ゆえん)を学ぶなり​​

私が吉田松陰が好きなのは、名言に深みがあるからだ。山口に観光に行ったとき、吉田松陰の子供用の学習ノートがお土産として売ってあり、そこに名言が書き記してあった。感動した私は、帰って本を2冊ほど買った。

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今日は、吉田松陰の本から紹介したいと思う。
 
「学問の道は、人と禽獣とでは、

”どこが違うのか”を知ることが肝要である。」
 
その”違う点”とは

五倫(父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の   序、明友の信)

五常(仁・義・礼・智・信)を守っているか否かにある。
 
これを失った者が庶民、頑張って得た者が君子、

 ゆったりとして自ずと身に付けている者が聖人である。衆人は努力すれば、君子にも聖人にもなれるが、禽獣に落ちる者もいる。
 
禽獣 : 鳥獣または、恩義を知らず、道理をわ     きまえない人の例え
 
五倫、五常とは、中国の儒教から来ている。
 
父子有親 : 父と子の間柄は、親愛の情で結ばれなくてはならない
      「父」の想いは慈しみ、

      「子」の想いは孝行

      「親」の想いは生まれながらに、ひとりでに湧く情
 
君臣有義 : 君主と、臣下の間柄は道義を守ることが最も大事である

       君主(上司)は礼をもって使い、

       臣下(部下)は正しいケジメを立てて仕えること
 
夫婦有別 : 家外における夫のつとめ、家内における妻のつとめ、

       その互いの本分を乱さない
 
長幼有序 : 年長者と年少者の間で、当然守るべき社会的・道徳的な秩序

 

秩序   : 自然や社会を一貫している原理・法則性、物事を行う場合の正しい                              順序

朋友有信 :友人関係においては、お互いに信頼しあうことが最も大切である

 

仁    : 真心と思いやりをもち、誠実に人と接すること(自分には厳し                                  く、他人には寛容に)

義      : 利や欲に囚われず、世のため人のために行動すること

      (弱みにつけこむのは卑怯)

礼       : 親や目上の人に礼儀を尽くこと。 自分を謙遜し、相手に敬意を払って

                      接すること(場合に応じて、自分を律し節度をもって行動する)

智    : 人や物事の善悪を正しく判断する知恵

 

信    : 人を欺かず、信頼してもらえるように常に約束を守り、嘘をつかず

       誠実であること
                                   以上
 

 近頃の教育では、勉強三昧、成績上げることに脇目もふらないが、学力をフルに身に付けて、有名大学の肩書を掲げて社会に出てみれば社会適応できない、しにくい人間が増えてきている。
 
 これは、戦後敗戦国として米国による日本人の骨抜き教育が行われたがため日本人魂の素晴らしさ、尊さ、頑丈さをいくらでも損なう教育へと変わってしまった。そして今、何が正しくて間違っていて、善悪の判断基準も分からない、そんな日本人が増えたように思う。何故なのか? 自分と向き合うことや、自分や他人の気持ちを考えて深く掘り下げたり、その答えを求める機会、生命ある自然や家族以外の他人と触れ合う機会が減りすぎた。ネット社会になり辞書引きしなくなったら、尊い意味の日本語はネットで調べると、いとも簡単に軽々しい、卑しい表現へと解説されて、これを鵜呑みにした若者は、大切なものを得る機会を失う。他人の気持ちが分からない、何を求めているのかも分からない、素直に正直に言えば傷つく恐れや不安が強いと、人と関わりたくない、世の中にでるのが怖い、信頼とは何か、礼儀とは何か、人として身に付けるべきことは何か?教育者が理解してない、わきまえる事を知らない者が手本にならない姿を子どもに晒す。
 
 そんな環境で育ってつまづく時は、学校という学力社会とは全くかけ離れた人間社会

を「学校で教わらなかった」、と気づくのはあまりにも残酷なのだ。まず、つまづいたら自分が変わるしかない。そのためには自分の気持ちを整理する。自分の部屋を、思いっきり断捨離すること。そして自分の気持ちを日記に書いて自分がどう感じているのか、自分はどうしたいのか、何故あの時自分はああだったのか、とにかく大切なことは何なのか、自他ともに最善のコタエとはどうすればいいのか?
 
よく考えること。他人に相談できなければ、儒教論語吉田松陰や心理学などの本を読み漁ると良いだろう。 これは何故か?
 
人は触れたものに似るもの。​人は触れたものの影響を受ける。だから、どんなものに触れるかで、その人の感性が養われる​​どんなものに関心をもつかが、その人の個性を育てます。 by かわしま ひろた
 
 これは、本当です。同年代や身近な未熟な人間の思考を聞くよりも、人間を熟知して熟考し、人生論から秩序立てて、万人のために結論を述べたものが宝庫として素晴らしいに決まっているからです。


 まずは己を知ることが重要です。自分という人間、卑怯だったり、やましかったり、汚かったり、悪の自分は自分に厳しく評価し、律すること。好きな自分、自分の良いところは褒めても良い。「アノ人は偉人だから」で終わらせるのでなく、偉人となるまでの費やした努力、観点、結果を、どのように参考にして取り入れるのかを自分で決める。

 

⚠️自分自身を理解できないのに、他人を理解できるはずはないのです。これは事実です‼️

 

「学問の道は、人と禽獣とでは、

”どこが違うのか”を知ることが肝要である。」